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東京奥多摩の廃村 峰集落跡

東京の廃村 峰集落跡地とは

峰集落とは、東京都西多摩郡奥多摩町棚澤に存在した山村。14~15世紀、秩父地方の武士団の一部が山越えして入植し、炭焼きや林業で暮らしたと伝えられ、約600年続いた集落でした。明治時代には7戸で「峰七軒」と呼ばれ、昭和42年頃には約10戸、1972年(昭和47年)に最後の住民、福島儀左衛門(ぎざえもん)一家が下山し、廃村となりました。1899年には民俗学者の柳田國男が集落を訪れ、長の福島家に2泊した記録が残っている。

アクセス・行き方

JR青梅線「鳩ノ巣駅」から約20分ほど歩き本仁田山・川苔山登山口へ向かう。

鳩ノ巣駅から登山口までのルート

鳩ノ巣駅から登山口までのルート。

鳩ノ巣駅

鳩ノ巣駅。

本仁田山・川苔山登山口は、民家の傍らにある。

登山口へ向かう道(鳩ノ巣駅周辺の住宅地)

登山口へ向かう道。(鳩ノ巣駅周辺の住宅地)

本仁田山・川苔山登山口

本仁田山・川苔山登山口。

登山口から登山道を約40分ほど歩くと、大根ノ山ノ神(祠)に到着。

登山道(写真は鳩ノ巣駅方面)

登山道(写真は鳩ノ巣駅方面)。

大根ノ山ノ神

大根ノ山ノ神。

大根ノ山ノ神の先を右方向に進み、階段を登らずまっすぐ進む。ちなみに、ここまでは、本仁田山・川苔山の登山道だったがココから登山道を外れる。また、本仁田山・川苔山登山の下山中に峰集落跡に寄る場合は、階段を降りた後にUターンする動きとなる。

大根ノ山ノ神の少し先。ココは右。

大根ノ山ノ神の少し先。ココは右。

階段を登らず右の道を進む

階段を登らず右の道を進む。

余談だが、ネットで公開されている峰集落への道の多くは整備されていない荒れた道だが、現在道は森林作業道として整備されている。次の写真を見比べるとよくわかる。

2017年4月のときは、道は未整備だった

2017年4月の写真。道は未整備だった。

2025年6月時点。道は整備されている

2025年6月の写真。道は整備されている。

峰集落跡地を見つけるポイントは、大根ノ山ノ神から10分ぐらいの場所で、峰集落跡地に民家は残っていないが、日天(にってん)神社の社は現存しているので、峰集落跡地を見つける目印となる。道路の右手を注意深く見ていれば見つけられると思う。また、自分が訪れたときは、峰集落跡地前で林道が通行止めになっていたが、今後道路を延伸させるかもしれないので、これは今後変わるかもしれない。

左側が歩いてきた林道。よく見ると右に小さな神社が見える。

左側が歩いてきた林道。よく見ると右に小さな神社が見える。

人工的なため池も見える

さらに人工的なため池も見える。

廃村というイメージから、道なき道を進んで辿り着くイメージだったが、整備された道でしかも登山道からたった10分ほどでたどり着けるので、意外とアクセス難易度は低い。

峰集落跡地

峰集落跡地に唯一残る建物が、日天神社。家屋が崩壊しているにも関わらず、日天神社の社だけが残っているということは、誰かが管理をしているのだろう。ちなみに、お賽銭箱が社の中にあるため扉をあけたところ、巨大なアシダカグモが2匹いて、ビビりました。社の背後には銀杏の大木があり、御神木のような雰囲気を醸しだしている。

日天神社

日天神社。社の背後には銀杏の大木。

銀杏の大木

銀杏の大木。

日天神社以外の遺構としては、ため池がある。生活用水または農業用水として使用していたと思われる。その他、水の溜まったドラム缶も放置されていた。

ため池

ため池。水は神秘的な真緑色。

水の溜まったドラム缶

水の溜まったドラム缶。

家屋の土台になっていたと思われる石垣の遺構が残っている。

家屋の土台である石垣とトタン屋根の一部

家屋の土台である石垣とトタン屋根の一部だけが現存。

家屋の土台である石垣

ココも家屋の土台である石垣のみ。

以下の写真は、生活用水のための貯水槽と思われる。水道が整備されていなかった昭和初期以前の民家では、飲用・生活用、防火用、農業用などの目的で、貯水槽を設置している家が多かった。

埋め込みタイプの貯水槽

埋め込みタイプの貯水槽。

据え置きタイプの貯水槽?もしくは水回りの施設の一部

据え置きタイプの貯水槽?もしくは水回り施設の一部かも。

峰集落で有名なのが、次の写真のバラバラで朽ち果てたセルロイドの人形。ただ、廃村に人形ってデキすぎだし、調べたところ誰かが演出目的で置いていった可能性が高いとのこと。ちなみに、足踏みミシンの残骸はホンモノだと思う。

貯水槽の周りに人形や鍋などの小物系

貯水槽の周りに人形や鍋などの小物系。

足踏みミシンの土台部分の残骸

足踏みミシンの土台部分の残骸。

その他、怪しい瓶や電化製品の残骸が散乱していた。

真空管ラジオの残骸

真空管ラジオの残骸。

土管やガスボンベの残骸

土管やガスボンベの残骸。


峰集落跡地における心霊現象

峰集落は、心霊スポットとしても一部で知られているようだが、実際に心霊現象の元となる殺人事件や自殺などが起こった記録もなく、心霊現象が確認されたという確かな情報源もありません。おそらく「廃村 = 不気味 = 心霊スポット」というイメージの連想で、噂が広まったものと思われます。そもそも峰集落に、幽霊が出るであろう深夜にアクセスするのは容易ではない。周辺には街頭1つないため、懐中電灯片手に漆黒の闇の中、深夜に山道を1時間(往復2時間)かけて、やってくる心霊スポッターなど、ほとんどいないでしょう。実際、深夜に訪れた記録も見つかりませんでした。

峰集落跡地の訪問後にわかったこと

今回峰集落に訪れたのは、川苔山登山の帰りに一緒に登った友人の強い要望だったため、事前にあまり調べていなかった。その後、記事を書くにあたり詳しく調べると、今回撮影した日天神社周辺は、峰集落跡地のほんの一部だったことがわかった。今回全く見ていなかった林道の反対側には、1899年に集落を訪れた柳田國男が宿泊し集落で一番栄えていた福島文長の豪邸跡と、その近くにもう1軒、そして村のお墓もあったようだ。今回撮影した村の中心部である日天神社周辺に2軒、東を流れる入川方面にも1軒、さらに南側にも住宅跡地が2軒あったとのこと。これで、峰七軒の合計7軒と一応数は合う。そこで、上記情報をもとにイラスト地図を作成してみた。

昭和初期の峰集落イメージ地図

昭和初期の峰集落イメージ地図。

おそらく全体像としては、こんな感じだったと思われる。左上の一番大きな建物が福島文長の豪邸。ただ、昭和42年頃には約10戸あったとのことなので、今回見落とした場所にもっと遺構があったのかもしれない。次回訪問する機会があれば、それら見逃してしまったポイントも回収したいと思う。

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